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大学生の私が、思ったことを気ままに書くブログです。

大学の意味を問う大学生

ご無沙汰しています。
久しぶりの更新になってしまいました・・・。

これからはマイペースに書いていこうと思うので、どうぞ温かい目で見守って下さいませ。


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さて、最近よく感じることについて書こうと思います。

私の周りには、「何をしに大学に来ているのか?」と言う大学生が多いです。
その問いを見て見ぬふりをしている人もいます。
もっとも、気づいていない人もいるのですが・・・。

彼らの共通点は「今までよくできた人」であること。
「よくできてしまった」と言った方が適切でしょうか。

与えられた宿題はきちんとこなし、周りの大人の期待に応えることができてしまった彼らは、大学進学に何の疑問も持たなかった。
周りの期待を自分の希望と重ね合わせ、その通りの進路を歩いてきました。

そして大学に入って、与えられた課題をこなし、競争率の高い人気の研究室やゼミに参加し、そこでオリジナリティを求められて初めて、
「自分の関心って何だろう」、「そもそも何のために大学に来たのだろう」というという問いに直面しているのです。

けれど、その問いに模範解答はありません。

よくできてしまった人の一人はこう言いました、
「良い成績をとることはゲームのようなものだった。でも最近、このゲームのゴールは無責任だし、たとえクリアしても虚無感が残ることに気付いてしまった」と。


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私は彼らを憐れんでいるのではありません。
ただ、隣にいる彼らの苦しさを思うと、胸が痛いのです。

「今までよくできてしまったからこその不幸だ」、と。

なぜ彼らは、もう少し早く、自分を取り巻く枠組みに疑問を持つ機会に出会わなかったのでしょうか。
なぜこうなる前に、挫折を経験できなかったのでしょうか。

ある程度高水準の、求められたものに応えられてきた彼らへのご褒美がこんな仕打ちなんて、虚しいです。